水引とブーゲンビリア。
どちらも我が家の庭から採ったもの。
2年ぶりの日本滞在は、3週間ほどでした。
国際会議で、また日本のある私立大学で生け花について話してきました。
どちらも英語でしたが、日本の大学生には、少々、辛かったでしょうか。
初めての大学でしたから、不案内。
多数の方からお世話になりつつ、学内をうろうろしてしまいましたが、
学生も、図書館スタッフもとても親切で助かりました。
日本人学生には、英語だけでは難しいかなということで
時折、日本語で雑談を挟みました。
なぜ、私に大小、様々な仕事が次々来るのか?
それは私が締め切り期限を破ったことがないからなんです、と。
お金を頂いて、期限を決めたら、
私は逃げません。徹夜でもなんでもしてやり遂げます。
ところが、お金をいただいていながら、
ああだ、こうだと理由をつけて、仕事を未完で放り出したり、
逃げ出すアーティストも多いのだと言うと、
そんな無責任なこと、自分だってしないさ。
当たり前じゃないか。やり遂げるさ。
という顔の学生たち。
ほぼ全員がそうでした。
でも、数十人の学生のなかには、
おそらく何人かは逃げ出す人が出てくるのではないでしょうか。
芸術制作過程は絶壁と向き合うような時間が続くわけで、
なかなか苦しいのです。
本当に逃げたくます。
困難に向き合うか、逃げるか。
それは実はいろいろな場面で、私たちは日々経験しているのです。
例えば、私の講義に出席した学生にとっては、
私の英語の講義にかじりついて、ついてくるか、
もしかすると専攻に直接関係ないのかもしれませんが、
何か学べることがあるかもしれない、と頑張るか。
あるいは、「難しい」と居眠りしたり、おしゃべりしたり。
実際、ちらほらそんな学生が見受けられましたが。
そういう人は、つまり、逃げているわけです。
もちろん、あれやこれや理由や言い訳があるのは承知しています。
私の話がつまらんということも当然あるでしょう。
しかし、そういう人が芸術制作現場のような厳しい現実に直面した場合、やはり逃げ出すのではないでしょうか。私にはそう思えます。
もちろん、逃げたからといって、
それで人生が終わるわけではないでしょう。
人生は続きます。
ただ、逃げるか逃げないかという日々の決断の集積。
それは、おそらく全く別の場所へ私たちを導くことになるでしょう。