華道家 新保逍滄

2016年1月28日

一日一華


「最近の若い者は、なってない」
「近頃の世相ときたら、利己主義がはびこって」などなど。
ご年配の方からよく聞かされるわけですが、
バビロンの昔から、
若い世代への苦情は、常にあったようです。

しかし、現代日本の状況は、ちょっと違うのかなと思っています。
戦後に育った私達はどうも何か欠けているように思うのです。
自分自身を振り返ってのことですから、
他の方はそうではなく、
私だけの個人的な事情があるのかもしれないのですが。

歴史に関する書物をよく読みます。
明治維新などとても興味があります。
この人たちはどうしてこんなに強いのだろう。
この精神のスケールの大きさはどこから来るのだろう。
なぜここまで無私に徹することができるのか。
自分には何かが欠けている。

これと多少似た経験は
オーストラリアの人々と接している時にも感じてきました。
なんてしっかりしているんだ、と頻繁に感心。
人生の意味に悩むこともなく、
他人への思いやりは当然という言動。
自分にはない、精神的な安定感。
なぜだろう、と思って、
一つ思い至ったのは、
教会。
週に一度、子供の頃から精神に関することを聞かされてきている強さではないか。

すると、思いついたことがあります。
日本人が1500年ほど精神の根幹に置いてきた儒教。
「論語」の素養の有無ではないか?

戦前までは、儒教的な精神が常識として、根幹にあったのでしょう。
幕末から戦前まで、日本を訪れた欧米人の多くが
この国の人々は他のアジア人と別格だと感じたということですが、
その理由も、その辺にあるように思います。

諸事情で、戦後の私達は儒教はもちろん、
宗教的な教育が欠落した状況で
若い時代を過ごしてきたわけです。
その結果がこの欠落感ではないか。
不安定な感じではないか。

代わりに左翼的な言説の影響はしっかり受けて。
憲法さえ守れば平和が守れると信じ込まされているおめでたさ。
実際に何が日本の平和を守っているのかという
現実も見えないようです。

大学時代、ありがたいことに「四書」を読む機会はありました。
再読しようかと思っています。

2016年1月7日

21世紀的いけ花考(43)


現代芸術展で、「何じゃこれ?」と思ったことがあるという方も多いのではないでしょうか?「こんなの子供でも作れるじゃないか」「自分ならもっといいの作れるな」「こんなゴミがなんでこんなに高いんだ?」とか。真似をして素人がガラクタの寄せ集めのような作品を作ってみても、それはやはりただのガラクタ。芸術には化けない。違いは何か?
 
何度か繰り返していますが、結局、作品が「意味」(即ち芸術の命)を持っているかどうか、でしょう。意味にはいろいろありますが、一つにはモダンアートになんらかのコメントが出来ること。そのためにはモダンアートについてある程度勉強しておくことが必須。とは言え、ここでモダンアートについてあれこれ話す余裕はないのです(おまけに私の知識もさほど深くない)。しかし、自分の作品を芸術作品に転換する秘訣のようなことはお話できるかもしれません。
 
ある作品を意味ある芸術作品にするものは何か?難問です。実は、村上隆が「芸術闘争論」の中で現代芸術鑑賞の4要素としてあげている項目が、その答えなのです。関心のある方は是非、熟読して下さい(私の解釈が強引だと気づくほどに)。村上によれば、4要素とは、1、構図、2、圧力、3、コンテクスト、4、個性。おそらく3以外は分かりやすいでしょう。「構図がシャープで、力があって、個性的」という特徴は、ゴッホやロダンなどの著名な芸術作品からも多くの方が感じられる要素でしょう。優れたいけ花作品にも言えることかもしれません。

では、コンテクストとは何か?作品が「意味」を持つかどうかが重要だと私が言う時、この「意味」は4要素すべてに関係していますが、特にコンテクストから生まれるものなのです。少しややこしくなりそうなので、ここでまた一休み。新保流現代芸術論、続きは次回に。

15年後半は私の華道家キャリア始まって以来の忙しさでした。制作締切りが迫っていながら、アイディアが出てこないストレスで眠れない日も何日かありました。そんな中で楽しくやれたプロジェクトのひとつが、うみうまれゆみさんとのコラボ。この作品はゆみさんらダンサーが踊る傍らで、10分ほどで生けたもの。何も準備せず一気に生けたので、少々保守的なデザインになっているでしょうか。デモのようにきちんと準備しておくのもいいですが、その場で即興で生けるというチャレンジも面白いものです。

2016年1月1日

アーチボールド賞展インスタレーション(2)

2015年度、最も印象に残った作品はやはりこの作品。
多分、最も苦労した作品だったでしょう。
「人の顔」という題材。
初めての挑戦です。

試作品を何度か作ってみたものの、
まったく納得できない。
上手、下手ということではなく、
まるで人形のようなものしかできないのです。
子供の描く人の顔の方がまだまとも。
そこには生命感があるのです。

私の試作品はどうも生きている感じがしない。
生きていない人の顔は、芸術とは言えません。
そのため1ヶ月の制作期間中眠れない夜が何度かありました。
私の技術力の不足を何で補うか?
結局、針金をラフに丸め、からめ、
フレームにぶつけてみました。
あ、ようやく生きてきた!

展示期間中はとても人気で、
バララット市の担当者からも
大成功、と喜んでいただけました。

2年前のクリスマスに作ったマジカル・トンネルが好評だったため
再度依頼を受けたのですが、
なんとか、任務を達成できたようです。

Shoso Shimbo

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