「最近の若い者は、なってない」
「近頃の世相ときたら、利己主義がはびこって」などなど。
ご年配の方からよく聞かされるわけですが、
バビロンの昔から、
若い世代への苦情は、常にあったようです。
しかし、現代日本の状況は、ちょっと違うのかなと思っています。
戦後に育った私達はどうも何か欠けているように思うのです。
自分自身を振り返ってのことですから、
他の方はそうではなく、
私だけの個人的な事情があるのかもしれないのですが。
歴史に関する書物をよく読みます。
明治維新などとても興味があります。
この人たちはどうしてこんなに強いのだろう。
この精神のスケールの大きさはどこから来るのだろう。
なぜここまで無私に徹することができるのか。
自分には何かが欠けている。
これと多少似た経験は
オーストラリアの人々と接している時にも感じてきました。
なんてしっかりしているんだ、と頻繁に感心。
人生の意味に悩むこともなく、
他人への思いやりは当然という言動。
自分にはない、精神的な安定感。
なぜだろう、と思って、
一つ思い至ったのは、
教会。
週に一度、子供の頃から精神に関することを聞かされてきている強さではないか。
すると、思いついたことがあります。
日本人が1500年ほど精神の根幹に置いてきた儒教。
「論語」の素養の有無ではないか?
戦前までは、儒教的な精神が常識として、根幹にあったのでしょう。
幕末から戦前まで、日本を訪れた欧米人の多くが
この国の人々は他のアジア人と別格だと感じたということですが、
その理由も、その辺にあるように思います。
諸事情で、戦後の私達は儒教はもちろん、
宗教的な教育が欠落した状況で
若い時代を過ごしてきたわけです。
その結果がこの欠落感ではないか。
不安定な感じではないか。
代わりに左翼的な言説の影響はしっかり受けて。
憲法さえ守れば平和が守れると信じ込まされているおめでたさ。
実際に何が日本の平和を守っているのかという
現実も見えないようです。
大学時代、ありがたいことに「四書」を読む機会はありました。
再読しようかと思っています。