華道家 新保逍滄

2023年3月30日

香水「花信コレクション」予約受付開始

 


花信 Hanadayoi - Ikebana by Request は6月に発表予定。これを記念して、新しい香水コレクション Hanadayori が発売されます。ただいま、先行予約受付中です。
香水売り上げの一部はメルボルン・生け花フェスティバルの運営費用に当られます。


 


2023年3月17日

2023年3月6日

『専応口伝』における「面かげ」の形而上学(英語版)



先に紹介した論文の英語版は以下です。

Abstract

Senno Kuden (16th century) historically presents the most influential definition of ikebana, which includes both ontological and epistemological concerns in representation. Although the former contributed to the development of the common definition of ikebana as a symbolic representation of nature or the universe, the latter has been largely ignored. This study points out that the latter has not only significant meanings in understanding Senno’s teaching on ikebana, but also a strong connection with the traditional Japanese aesthetics that values contemplative awareness of the transiency of beings.

Author Information
Shoso Shimbo, International Society of Ikebana Research, Australia

Paper Information
Conference: KAMC2022
Stream: Aesthetics and Design

This paper is part of the KAMC2022 Conference Proceedings (View) 
Full Paper
1. View / Download the full paper in a new tab/window

2. Academia

To cite this article:
Shimbo S. (2022) Seeing the Invisible: Applying Discourse Analysis to the Introduction of Senno Kuden ISSN: 2436-0503 – The Kyoto Conference on Arts, Media & Culture 2022: Official Conference Proceedings https://doi.org/10.22492/issn.2436-0503.2022.6
To link to this article:  https://doi.org/10.22492/issn.2436-0503.2022.6


日本語版

『専応口伝』における「面かげ」の形而上学

要旨

『専応口伝』序文にディスコース分析を応用し、従来あまり注目されてこなかった序文中の主要語「よろしき面かげ」の重要性について考察してみたい。「よろしき面かげ」はもうひとつの主要語「をのずからなる姿」とともに形而上学的な文脈で理解されるべきである。「をのずからなる姿」がいけ花を大自然の象徴的表現と定義したのに対し、「よろしき面かげ」はいけ花の始原についての定義と解釈できる。専応の教えは存在の無常性を瞑想を通じて認識することで、草や花の純粋な本質を捉え、それをもとにして挿してゆくものだということになる。さらにこの点において専応のいけ花の思想は日本の美意識の典型的な内的機構とも強い関連性があることが明らかになるのである。

全文は以下より。

2023年3月3日

上品さという常識の言語化を

 

生け花を嗜むということは、特定の流派に属するという以前に、日本文化に関わるということです。日本文化を学ぶ場合、それは同時に上品さを身につけていくことでもあるでしょう。これはあまりに自明で、基本でもあるため、わざわざ言うまでもないこと、ではないでしょうか。

生け花をやっている下品な方というのは通常あり得ないわけです。私などでも公の前で生け花のデモをやるとなれば、言葉遣いはもちろん、服装にも気をつけます。不潔ないでたちで花をいける花道家など見たことがないでしょう。セクシーな衣装で花をいける、などというのはありそうですが、これも実際には見たことはないですね。たとえあったとしても、「まあ、冗談だろう」ということになります。

それは、日本人にとってはあまりに自明すぎて、わざわざ口にする必要もないというレベルの常識です。おそらく日本の伝統文化の根本では、精神的に高貴で洗練された方(あるいは天皇陛下かもしれませんが)とのつながりを想定してきたということと関係があるのかもしれません。

では、この上品さへの志向を外国人に理解してもらっているでしょうか?

上品さをどう英訳したらいいのかな、と考えていたとき、偶然見つけた言葉があります。

Be Kind and Courteous. 

親切かつ礼儀正しくあれ。ぴったりですね。

華道流派によっては外国人の生徒に対しても行動規範や精神的な指標を示す場合もあるでしょう。さらに最近は、パワハラ、モラハラ、いじめなどが生じないよう規範を作る場合も増えていると思います。そんなものに黙って耐えるなどという時代ではありません。問題になれば、その流派の組織のあり方が問題になるはずです。

Be Kind and Courteous. 

「上品であれ」ということは、生け花に関わろうという日本人にとっては暗黙の了解事項でしょうが、外国では「生け花をやる以上、上品であろうとすることは必須の前提条件だよ。上品さを備えていない人がいい生け花を作れるはずがないんだよ」と、言語化してきちんと伝えていくことが必要ではないかと思います。

教育や年齢や経済状態などにかかわらずどなたにも生け花を嗜んでいただきたいものですが、他人の悪口ばかりで、上品さなどに関心がないという方はできれば関わってほしくないものです。学歴や職歴といった社会的な評価が得られなかった人たちが、自分の評価(Self-esteem)を補償するために、生け花の教師資格を利用する場合もあるかもしれませんが、上品さという当然の前提を欠いている人が集まれば、いじめや嫌がらせが横行するということになりかねません。

生け花作品は作者の人格の延長です。品のある作品に出会いたくて、上品な人柄に触れたくて、私たちは展覧会にも出かけるわけです。

海外における生け花グループの会員心得の最初に次の一言を明記すべきだと思います。

Be Kind and Courteous.

これがあるとないとで、グループのあり方が大きく変わってくるのではないでしょうか。

Shoso Shimbo

ページビューの合計

Copyright © Shoso Shimbo | Powered by Blogger

Design by Anders Noren | Blogger Theme by NewBloggerThemes.com