先のポストで触れたように、生花に関する様々な活動に関わっていますが、自分にとって最もわかりにくいのが、メルボルン生花フェスティバルです。
まだ1回しか開催していないのですから仕方ない部分もあります。自分の納得できる形になっていないという事もあります。
商業的な事業であれば、経験からやり方がわかります。学問のような個人的なプロジェクトも同様です。どちらも達成目標が明確で、それに向かって手順よく努力していけばいいのです。慣れたものです。また、ボランティアならそのように割り切ってやれるでしょう。
しかし、メルボルン生花フェスティバルには、どうもそれらのどれとも割り切れない部分があり、今まで経験したことのないプロジェクトなのだと感じています。
ある面ではボランティア、ある面では事業、ある面では自分が捨て石になる覚悟を求められます。自分の立場がよくわからないのです。
さらに、自分がどこまでコミットするべきか、についても確信が持てません。支持者があり、多くの方がメリットを認めて下さるなら今後も続き、意義のある活動となり得るでしょう。また、支持者がなければ消えていくでしょう。どのようになっていこうと、それを受け入れる覚悟は持とう、あまりこだわりは持つまい、執着は持つまい、とは思っています。
このイベントを私物化しようなどという考えは持つべきでないと思います。リーダーが自分の利益、便宜だけを優先するようなことはあってはいけないでしょう。人がついていかないでしょう。「より多くの人に生花を」というような大きい目標も達成できません。おそらく、会社組織で運営するなら別でしょうが。
ですから第1回目は私が代表を務めましたが、2021年度からは別の方に代表を代わってもらおうと希望しています。国際的なスケールで、創造的に、そして、平等に(誰でも参加でき、努力した方が相応の機会を得られ、特権者は作らない)、というような基本方針が定着したなら、私は役目を終えたいのですが、その段階なのか、これまた確信が持てません。
このように私にとって実にわかりにくいプロジェクトなのです。リーダーが熱意を持たずに成功するはずはないですから、とりあえずの熱意を持ちつつも、深いところではどう関わったらいいのか、まだ手探り状態なのです。
となると、周囲の方からすれば、おそらくもっとわからないでしょう。相手によって趣旨説明を変えていますが、話が通じなかったり、誤解が生じるのも仕方ないと思います。
メルボルン生花フェスティバルの運営を特に難しくしている根本の理由は、多くの方々にご協力いただかなければ成立しないプロジェクトだから、です。ここが私が関わる他の生花の活動との大きな違いでしょう。
権内・権外という言葉があります。学問研究などは権内の活動と言えるでしょう。自分一人の努力で成功失敗が決まることが多い。基本的に自分次第です。小規模の事業などもある程度、そうかもしれません。
それに対し、メルボルン生花フェスティバルには権外の要素が大部分。私一人がいくら頑張っても、どうにもならないことが多すぎるのです。ですから、初回の開会式で「これは奇跡じゃなかろうか」などと私が大袈裟な発言をしていますが、そこにはそうした事情があるからです。私の関与できない様々なことが上手く組み合わさり(まるで人智を超えた力が働いているかのように)、成功へと導いてくれました。「とびきり運が良かったな」「人に恵まれたな」というのが、初回の実感でした。
そこで、只今の大きな課題は、メルボルン生花フェスティバルへの協力者や関係者をどのように説得し、動機付けしていけばいいのか、です。
例えば、実行委員の方々。ほぼボランティアで、よく頑張って下さいます。しかし、彼らの仕事はかなり大変です。賃金を払って、仕事を割り振るなら簡単です。実際、そうしたいとも思います。会社組織にしてメルボルン生花フェスティバルを運営できれば分かりやすくていいですね。収益は少ないので、経営は苦しいでしょうが。赤字にはならない程度にお金を動かせるのではないかと思います。
しかし、無報酬で彼らの動機をどのように維持できるのか。
幸いこれまでのところ、メルボルン生花フェスティバルの目指すもの、遠大な夢のような私の話に共感し、「ついていってみようか」という事だと思うのです。「前人樹を植えて、後人涼を得る」。私たちはこの ことわざの「前人」となる覚悟を持てないだろうか。自分達の苦労の果実は、自分達は享受できないかもしれないけれど、次の世代の人達の間では、生花への関心が大きくなるはず。自分達とは違い、先生も容易に生徒が集まるだろうし、生花の癒し効果を生活の一部とする人達も増えるだろう、と。
もちろんこのような精神的とも言える動機づけで動いてくれる方はかなり意識の高い人達で、数はそう多くはありません。反発、離反、傍観も経験しています。仕方ない事です。それを恨んだりすれば私達の負けです。
また、出展者の方々にどのように出展の意義を説明していくか。これも容易ではありません。日本文化の発信の機会として、などというより、個人的なメリットを強調して説得していくことかな、と思います。自分へのチャレンジの機会に、ご自分の教室のPRに、流派のPRに、そのようなところに落とし込んで、それが効果的に達成できるように配慮していくのが基本でしょう。
ただ、日本からの出展者となると、個人的なメリットはそう多くはないでしょうから、身近なメリットを越えた、もっと大きな意義を見出して下さる方に訴求することになるでしょう。
ともかく、もっと理解者、協賛者が増えていくと、メルボルン生花フェスティバルはさらに面白い企画に育っていくでしょう。今の段階でもいくつか突出した特徴がありますが、継続し、実績を積むことができれば、花道史的にも意義のあるイベントとなる可能性もあります。まずは、メルボルン生花フェスティバルの趣旨について、もっと広報していくことが必要であるようです。