いけ花と現代芸術の関わりを考えていきます。当面、焦点は現代芸術。しかし、これが分かりにくい。私は現代芸術と縁のない世界にいましたが、「いけ花でこれくらいやれるなら」と美術修士に入学許可され、数年前修了。芸術も私の専門分野になりましたが、分かりにくい。修士をやっている者が分からない、分からないと繰り返しているわけにもいきませんので、勉強しました。
まず、分かったことは芸術の世界にいる人には芸術の分かりにくさが分からないということ。この分野の先輩に何から読んだらいいのかと尋ねると「ベンジャミン、ラカン、デリダくらいは読んでおこうね」。今だからこそ断言しますが、これは最低のアドバイス。彼らには部外者の感じている分かりにくさが理解出来ないのです。こういう人に芸術を語らせても、つまらないですね。オタクの独りよがりな話を聞いているようなもの。
次に分かったことは現代芸術を理解する鍵はその歴史にあるということ。20世紀の芸術史を抑えておくことです。前回紹介したWhy Is That Art?で、著者はリアリズム、エキスプレショニズム、フォーマリズム、ポストモダニズムの4本柱を分かり易く説明し、20世紀芸術の見取り図を提示してくれています。本格的に勉強したい人はこういう本から入るといいでしょう。
しかし、私はもっと簡略に説明しましょう。お金を払って美術館に入ったら、ゴミの山やら糞やらを見せられ、「金返せ」と腹を立てた(笑)かつての私のような芸術の部外者のためにはもっと簡単な説明が必要。要は現代芸術にはモダニズムとポストモダニズムがあるということ。とりあえずはこの二つの立場の違いが分かればいいのです。次回は超難解なポストモダニズムを超簡単に説明してしまいます。あまりに簡略で専門家には笑われそうですが、笑わせておけばいいのです。
今月は庭掃除のゴミを集めて作品にしたもの。ガラス花器の形が手強くて添え木留めの応用で留めています。
さて、今年10月バララット美術館で開催されるアーチボールド賞展のために大作の依頼を頂きました。肖像画展にちなんで巨大な人の頭をという依頼。人の顔は難しい。いけ花では扱いません。菊人形でも衣装を花で作っても、顔は花で作りませんね。うまくいかないからです。それほど人の顔とは難しい題材。大きなチャレンジが始まります。
注)今回のこの記事に関し、ありがたい批判がありました。
「要は現代芸術にはモダニズムとポストモダニズムがあるということ。」
という部分です。批判の趣旨は、「現代芸術とはポストモダニズムのみ」ということでした。
時代区分で言えばそういえるのでしょうが、私が言いたいのは、モダニズム的な態度とポストモダン的な態度があるということ。この点、あと数回ではっきりしてくるでしょう。
ご意見下さった方、ありがとうございました。