
生け花を外国人に教えながら、どうしたらもっと上手になってもらえるのかな、とよく考え、悩んでいます。このブログでも何度も書いてきた通りです。おそらく海外で指導されている方なら、多くの方が日本人に教える時とは違う難しさがある、と感じておられるのではないでしょうか。そのため指導方法にも様々な工夫を凝らすことになります。一つの仮説として「無理なのではないか」と考えてはどうかとも思います。最近、ふと思い至ったことです。もちろん、外国人全員が無理という意味ではありません。少数の方ですが(とはいえ、日本人と比べ、遥かに多くの方々)、いくら続けても生け花の本質、つまり、花の生命感や作品の中の秩序性(調和)といったものが体現できない方があるのではないか、と思うのです。そのことを無視して、「努力すれば必ず生け花の詩性が表現できるようになるから頑張れ」と努力を強いるというのは、不毛ではないかと思います。それはまるで、ディスレキシア(失読症)の子供に、努力すれば読めるはずだと、努力を強要するようなものではないでしょうか。そのように考えると、生徒に対する態度も変えていくことになるでしょう。うまく作れないのは努力不足ということではないのではないか。楽しんで続けてもらえればいいのではないか、と余裕のある態度で指導に臨めます。それはそれでいいと思います。展覧会などでも、あの方はいつも突拍子もないもの作っているねと、評されるような方もご愛敬でいいのでしょう。海外のいけばな...