華道家 新保逍滄

2019年7月25日

「専応口伝」の謎 3 - Nature in Ikebana

多忙な日々が続き、情報や刺激をたくさん受け取りながら、内省するということがない時間が続くと、体験が深まっていかないという焦りを感じます。 そこで、先に「専応口伝」についてあれこれ考えたことをまとめてエッセーにしてみました。あっという間に6000字くらいの長さになってしまいました。論文とはとても言えない代物。一つの仮説として読んでいただけたら面白いかもしれません。国際いけ花学会編「いけ花文化研究」第6号に掲載されるのではないかと思います。 「専応口伝」の謎 1 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/07/blog-post.html 「専応口伝」の謎 2 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/07/blog-post_12.html いけ花における自然:存続可能性を超えて(1) 新保 逍滄* 要旨 いけ花史上、明治前から始まる西洋文化、殊にモダンアート運動の影響によってもたらされたいけ花における文化変容は、いけ花の本質に関わる問題を内包しているだけでなく、西洋文化における自然観と非西洋文化圏の自然観との相克、統合の可能性と不可能性という問題をも浮き彫りにすることができるであろう。西洋文化の生花への受容に意識的だった山根翠堂、重森三玲、勅使河原宏らを中心に、東洋思想の流れの中で彼らの取り組みを捉えてみたい。  西洋文化受容を契機としていけ花が表象するものが、象徴としての宇宙的秩序から、生命へと変化したという見解があるが、それら双方向への志向は「専応口伝」の中にすでに言及されているのである。従来の「専応口伝」解釈には不十分な部分があったのかもしれない。  いけ花が外的に何を表象するかという議論が中心であったものが、導入された西洋文化の衝撃によって、その内的な始源においていけ花を捉え直さざるをえなかったという事情があるのではないだろうか。そこにはいけ花の本質の探求だけではなく、日本的自然観の再検討も含まれていたであろう。 Abstract Western...

2019年7月12日

「専応口伝」の謎 2

「専応口伝」について、再び。 まず、前回書いたことは、訂正しなければいけません。 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/07/blog-post.html 「この一流は野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし、花葉を飾り、よろしき面かげを本とし、先祖さし初めしより一道世に広まりて、都鄙のもて遊びとなれる也」 この部分ですが、 「この一流は」 (1)野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし (2)花葉を飾り、よろしき面かげを本とし 「先祖さし初めし」に続く。 と、通常の解釈に従う方が無難です。 なぜなら、「面かげ」という言葉ですが、その近くに面かげの対象、つまり名詞がないといけません。何の「面かげ」かがはっきりしなくなるからです。 その名詞とは、「花葉」ということになるでしょう。 ですから「花葉を飾り」と「よろしき面かげを本とし」とを離して考えない方がいいのです。 実は、上記(1)と(2)は同じことを繰り返しているのだと気付きました。 もちろん、意味は別です。 野山水辺...

2019年7月6日

「専応口伝」の謎 1

生け花について考えていると、「専応口伝」はどうしてもその作業の出発点になってきます。それについて書かれたものはたくさんあります。しかし、ほとんどの解説はあまりに薄っぺらです。特に、みなさんがブログなどで読むことのできる解説のほとんどは読む価値のないものが多いようです。 もしかすると私がこれから書こうとすることも、無意味なブログの解説のひとつ、ということになるかもしれませんが。 ともかく、「専応口伝」の謎について、です。 おそらく私の知る限り誰もまともに考えたことのない謎。 そして、花道の...

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