華道家 新保逍滄

2022年8月10日

平和のための生け花

 


1930年代、第2次世界大戦に向けて日本が戦時体制を整えていった頃、「国家のための茶道」とか「国家のための生け花」、「国家のための各種伝統文化」という主張がなされたようです。

茶道あるいは生け花の修行を通じて、精神を鍛え、戦争のもたらす患難に耐え、戦争に勝利しよう、という趣旨だったのでしょう。

とすると、「国家のため」という言葉が、「戦争のため」という言葉に取り替えられたり、両者が同一視される可能性があるように思います。「戦争のための生け花」とは、とんでもない!ということになります。特に、戦後私たちを取り巻く教育やメディアの言説は偏向の強いものでしたから、政治的なこととなると、なかなか正確に考えることが難しくなっています。「『国家のため』ということがすべて悪につながる、というのは冷静な考えではない」と、なかなか考えられなくなっているのではないでしょうか。

ところが最近、日本の平和ボケに警鐘を鳴らす事件が相次いで起こっています。殊に日本のことを最も考えてきた重要な政治家が、自分のことしか考えない愚劣な暴漢に簡単に暗殺されてしまうという事件は、まるで平和ボケ日本の行く末を暗示しているようです。安全確保がなおざりの今のままでは、こんな悲惨なことになってしまうのだよ、国民の財産、生命が守れないのだよ、という警鐘です。

おそらく日本の世論はこれから大きく変わっていくでしょう。メディアの偏向も、見当はずれも明らかになってくるでしょう。日本の世論の成熟を阻止しよう、日本人の意識を目覚めさせたくないというメディアからはまるで断末魔を迎えたかのような激しい言説があふれてきています。

ここで、国家のための文化、ということをもう一度考え直してもいいように思います。

例えば、国家のための生け花。日本文化としての生け花には、国際社会で重要な側面があるのではないでしょうか。もちろん、茶道、柔道、太鼓、音楽、舞踏、料理、アニメなどなど、どのような文化活動にも当てはまることでしょうが。

仮に日本が隣国から攻められるというような事態になったとします。

もちろん、日本近辺には友好国ばかりで、隣国を侵略したり、少数民族を迫害したりするような軍事大国は存在しないと日本のメディアは伝え続けるでしょうが。友好条約があるじゃないか。自己防衛などもってのほか、憲法を守れば平和が守れると訴え続けるでしょう。「憲法を守って、国を滅ぼす立派な日本」を理想としているのでしょうから。

まあ、仮にそのような緊急事態に陥ったとします。

その時、平和維持に、極めて重要な働きをするのが国際世論です。ウクライナが例を示してくれています。国際世論を日本に引き付けるために、文化が大きな働きをするのです。例えば、「あの素晴らしい生け花を持つ国家を滅ぼしていいはずがない」これは強力です。

したがって、生け花をきちんと伝える、多くの方に愛好されるように伝えるということは日本の国防につながるのです。そのような意味での「国家のための生け花」が「平和のための生け花」になる可能性は大きいと思います。

海外で生け花を広めようと、メルボルン生け花フェスティバルを運営し、苦労していますが、そこまで考えていただければ、もっと協力者が現れて下さるはずなのです。自分のことにしか関心がない、自分の流派という家族企業の成長にしか興味がないなど、いろいろな考えがあって当然でしょうが、より大きな目標のもとに、生け花の将来のためにメルボルン生け花フェスティバルが育っていくと面白いでしょうね。

Shoso Shimbo

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