華道家 新保逍滄

2018年9月17日

役者脱落宣言


前回のポストで私が好きなLove Actually について書いたところ、
思いついたことがあります。

私が役者への夢を完全に諦めた出来事。

役者になろうなどと本気で思ったことはないのですが、
オーディションに来ないかと声をかけられ、出かけて行ったことは3、4回あります。
なかなかギャラがよろしかったのです。

しかし、その最後のオーディションでのこと。
最後というのは、もう2度とオーディションへなど行くことはないでしょうから。

日本の航空会社のコマーシャルのための制作でした。
セリフはなし、経験不要ということでした。
これは私にぴったりだと思ったのですが、行ってみると、要求は、
「君は、日本の禅僧だ。日本庭園を作っている。作り終えた時、自作の庭を眺め、至福の表情を浮かべてほしい」。
これをカメラの前でやるのです。

3回やりました。
諦めました。

私がニコリと笑っても、視聴者は私が自作への満足感を表していると感じ取れるでしょうか?変なこと考えているんだろう、くらいにしか思われないでしょう。

考えてみると、果たしてプロの役者でもセリフなしで、そんな表情を作れる方がありますか?笠智衆さんくらいでないと無理ではないでしょうか?

役者さんの大変さが少し分かったように思うのです。
半端な気持ちでやれる仕事ではないのです。

Love Actually 礼賛


私は映画はあまり見ません。
DVDコレクションも20本も持っていないでしょう。
(もっとも最近、これらに加え、「男はつらいよ」全巻取り揃えましたが)
それでも幾つかの作品は、年に1回くらい繰り返し見ています。
その一つは、Love Actually。

日本でどのような評価がされているのかと思って、
幾つか映画評を読んでみました。
共感できる映画評がありませんでした。

この作品はとてもおしゃれです。
成熟した、大人のコメディ。
これを日本人が作れるか、と思うとまず不可能でしょう。

日本で名優とされる方々は、多くは眉間にしわ寄せて人生を語ったり、
怒鳴ったりというような役が多い。

コメディと言っても、ボケとツッコミのやり取りが多く、
どうもいじめの文化かなあと思ったりします。

例えば、Love Actually のヒュー・グラントのキャラクター、
私は大好きなのですが、これを演じられる人は、まずいないでしょう。
ユーモアがあり、冗談がうまく、
自分の状況をちょっと距離を置いて眺めて、やれやれと溜息をついたり。
そこに人柄の良さ、誠実さ、余裕、人生への態度が現れる。

おそらく、最近、亡くなられた樹木希林さんはそんな役が演じられる稀な方じゃなかったかと思います。思いがけず、樹木さんとヒュー・グラントが重なってしまいました。
素人の思いつきですが。

2018年9月3日

外国人に生け花を教える難しさ



以前、「生け花上達のコツ」ということで書き出したところ、外国人に生け花を教える難しさ、という話に変わっていったのでした。今回はその話の続きです。

https://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/02/blog-post_8.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/08/blog-post_9.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/08/blog-post_13.html

草月流の場合、5冊教科書があり、1、2冊目は基本型、以後、自由花ということになります。おそらく、日本人にはそれでいいのでしょう。私のクラスでも日本人の場合、あまり問題はありません。

しかし、外国人の場合、このカリキュラムでは5人に1人くらいしか目的のレベルに到達できません。もちろん、これは私のクラスでのことであり、私の指導力不足という限界があるのは承知していますが。

自由花に入っていくと、多くの生徒がおかしな作品を作り出します。しかも、その生徒独特のクセのようなものが毎回表れます。貧弱だったり、色使いが混乱していたり。単に力強いだけだったり。結局、基本が身についていないのでしょう。私が生徒に与えるコメントは、以下のようなものが多くなります。

「綺麗な作品だね。でも、綺麗さを作品の目標にしてはいけない。生け花の原則に則って制作しましょう(これは綺麗な作品だけど、生け花と言えないよ)」

「生け花は数学だ。日本の美学は数学だ。君の作品のどこに数学があるんだ」

「弱い!君は瞑想していない。花と君の間に大きな距離があるんだ。もっと花と話しなさい (だんだんイライラしてきます)」

「花でお遊びして何になる。なんのために生け花やっているんだ!」とまでは、直接は言いません。だんだんコメントが厳しくなっていくのです。

私の生徒作品はフェースブックに紹介していますので、よければご覧ください。
https://www.facebook.com/IkebanaGallery/

そこで対策です。2つほど考えて実践しています。
効果はまだわかりませんので、詳しくは紹介できません。

ただ、ひとつは基本型の徹底復習。
これは不評です。やりたがりません。

しかし、完璧な基本型を作れれば、かなり効果があるのではないかと思っています。
そのような基本型を持てることが流派の最小限の存立条件でしょう。

ともかく、だまし、だまし上級者(実力での上級ではなく、カリキュラム上の上級)にも基本型の練習をさせています。
結果がどうなるか、いずれ報告できるでしょう。

補記:もしかすると、外国人(ことに西洋人)への生け花指導の難しさには、自然観の違いが根本にあるのかもしれません。日本人の神道的な自然観 (自然を客体視しない)への共感が生け花の修得には必要になってくるのではないか、これは大きな、そして、かなり魅力的な仮説です。



2018年 生け花ギャラリー賞


2018年度の生け花ギャラリー賞が発表になりました。

ご察しいただけるように、このプロジェクト運営はなかなか時間がかかります。

生徒作品ということで、まだまだ不十分な作品が多いのですが、
それでも生徒にとっては数万人の方々に自作を見てもらえる機会となる、
さらに
国際レベルの審査員(日本で最も著名な美術館長、兵庫県立美術館長蓑豊先生を含む)に作品を見てもらえる機会となる、

しかも、それが無料。

それらは、やはり華道史上意義あるプロジェクトと評される根拠でしょう。

それに、選出された生徒の喜び!ときたら大変なものです。

「生徒への励まし、生け花を学び続ける動機付けになれば」ということで始まったプロジェクトですから当初の目的は達成できているように思います。関係者の努力も報われるというもの。

そして、毎回いろいろな課題が出てきます。
それらについてはまた別の機会に話しましょう。

さらに、相変わらず抵抗勢力の嫌がらせは続きます(笑!)。
そこには生け花の特殊性があるように思います。
例えば、絵画コンクールとか、音楽コンクールであれば、
このような嫌がらせはないだろうと思います。

海外の方々からは、「生け花とは審査されるべきじゃないだろう」、「賞が生け花に関係あるか?」とか、私たちのフェースブックに書き込まれます。生け花になると、権威主義的な発言をされる方が多いと感じます。

もちろん、異論を持つのも、反対意見を持つのも自由です。しかし、私たちの結果発表に合わせて嫌がらせを書くという心性は普通ではないです。受賞者、おめでとう、ご協力いただいた方々、ご苦労様、というムードの中へ水を差すような書き込みをするわけですから。話して分かり合える相手ではないでしょう。こういう方に限って「生け花マスター」などと自称されていることが多いので手がつけられません。

私もこのプロジェクトの意義をあれこれ書いていますが、一人一人相手に議論するつもりもありません。そこまで暇ではないのです。

また、日本の生け花の教師、生徒からは静かに無視されています。
海外発の賞である、超流派の賞であるなどいろいろ事情はあるでしょうが
日本の生け花のあり方の一面を反映していると思います。
各流派主催のコンクールですと、上からの意向にしたがって参加すればいいのですが、
自分で判断しなければいけない要素があると慎重になるのかもしれません。
しかし、いずれ状況は変わってくるだろうと楽観視しています。

このような経験を通して、結局、生け花とは何か?
なんのために生け花をやるのか、その最大公約数は何か?
と個人的に考えているところです。

問題は生け花が容易に金や名声に結びつくというところにあるのではないでしょうか。

それを最大に利用しているのは、家元制度、流派という組織かもしれません。
もちろん、それが悪いなどと言うつもりはないです。
日本文化に特徴的な現象で、興味深いものです。貢献度も大きいでしょう。

ただ、生け花の本質はもしかすると、そんなところにはないのではないか、とも思うのです。
生け花は魂を磨くための一つの技術です。
自分のためだけに日々修練していければいい。
それだけのものだと思います。

Shoso Shimbo

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