華道家 新保逍滄

2018年3月10日

21世紀的生け花考 第68回


 今回は明治・大正期の生け花ブームについて考えてみましょう。ブームとは複数の要因が重なって起こるもの。単純には説明ができません。まず、分かっていることはこのブームを支えたのは若い女性であったということ。明治女性は生け花に何を求めたのか。女性と社会の関係から考えていくといいでしょう。しかし、未開の研究領域という感じがします。明快な説明には出会っていませんので、以下は私の仮説です。

 不明なのは生け花ブームを支えた若い女性の社会的な立場。専業主婦人口が増えるのは大正期以降ですから、彼女らはこのブームの主な担い手ではなかったでしょう。注目すべきは婚前の女性。つまり、花嫁修行のひとつとして生け花を習うということが主流だったようです。

 明治の国策は富国強兵。女性はそれを支える「家」にあって良妻賢母を目指しました。明治民法(明治31年公布)によってそれ以外の生き方は容易ではないという事情もありました。結婚は最大の関心事だったはず。できるだけ有利な条件を求めるのは必然。

 重要なのは女学校・高等女学校ができ、非正規科目ながら生け花やお茶が教えられることが多かったということ(正規の場合もあり)。女学校出→インテリ→生け花ができる→婚活に有利、というイメージの連係ができたのでしょう。お嬢様なら生け花ができる→生け花ができるならお嬢様(たとえ学がなくとも)ということで生け花のニーズが増大したのではないか。要は生け花がブランディング効果を獲得。手頃な投資だったのです。

 この時期、生け花の側にもブームを加速する工夫がありました。顕著なのは小原流による盛花のPR(明治末期)。剣山(明治期に初出)や七宝を使い、浅い水盤に花を生けます。最大の特徴は従来の生け花をさらに容易にしたものだったということ。デザインも単純でほとんど誰でも花が生けられるようになったのです。さらに、洋風住宅が増えてきましたが、そこにもぴったり。しかも真新しい西洋花も生けられる。生け花の楽しい面がドンと前に出たわけです。これは流行るでしょう。現在でも多くの生け花教室で、最初に習うのは盛花。次回に続きます。

 今月紹介するのは花菱レストランに活けた作品。毎週楽しくやらせてもらっています。3月はローン彫刻展に環境芸術2作を出展。さらに、同展の環境芸術会議でもトークを依頼されています。国際的なアーティスト、研究者も集うビクトリア州最大の屋外芸術祭。是非お越し下さい。http://lornesculpture.com

Shoso Shimbo

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