華道家 新保逍滄

2017年9月19日

一日一華:穢れとしてのプラスチック


オーストラリア人原住民の信仰には、
自然と共生するための叡智が多く含まれているようです。

それは神道でもそうでしょう。
穢(けが)れとして禁忌してきた信仰の背後には
エコシステムを維持するために意義深いものがあるようです。

自然を守るために、自らの行動を慎む、ということ。
それは叡智と言えるでしょう。

「古代信仰の叡智に注目を」と何人かは繰り返し訴えていますが、まだまだ。
資本主義社会は欲望追求に忙しい。
自らの行動を慎むなどという考えは微塵もない。

例えば、自然の立場からすれば、プラスチックなど極めて有害。
海洋に浮遊しては、亀などの水生動物が誤って食べて悶絶死、
海底に沈んでは、マイクロ・プラスチックとなって小生物まで汚染し、殺す。
当然、人体へも危害を及ぼす。
「プラスチックは穢らわしい」という感覚が生まれ、
それを信仰にまでもっていけないか。

地球環境の汚染、疲弊をどうしたらいいのか。
あれこれ考えざるをえません。

Shoso Shimbo

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