華道家 新保逍滄

2017年7月26日

一日一華:超えるということ(2)


フェースブックを見ていると、
著名人の略歴を紹介したビデオがよく出てきますね。
1、若い頃は厳しい境遇にもめげず、努力した。
2、その結果、今では、資産数千億。世界有数の億万長者だ。
3、皆も苦労に負けずに、頑張ろうね。
というポジティブなメッセージ。

私の反応は、
1、なるほど、そうだったのか。大変だったろうな。
2、それで?
3、そう言われてもなあ。
多分、あまり素直でないのでしょうね。

でも、億万長者になりたいと、それほど強く思えるものでしょうか?
もちろん、私も裕福ではないですから、お金はあればありがたい。
しかし、遣い切れないほどの資産を手にして、
それだけで人は満たされるものでしょうか?

おそらく、例えば日本の引き込もりの方はもちろん、多くの若い人たちも
上のようなメッセージを与えられても、しらけてしまうのではないでしょうか?
「よおし、自分もやるぞ」というような動機付けにはならないだろうと思うのです。
人生の成功って、そんなものなの?その程度?という具合に。

自己実現だとか、好きなことを精一杯やってみようとか
言われても何をやっていいのかわからない。
現実的な仕事も生活の手段としてはやらざるをえないと了解できるものの、
そこにあまり意味を見出せない。
生き甲斐が見つけられない。
自分の命をかけてみよう、
燃やし尽くそうというほどに熱くなれるものが見つからない。
そういう悩みは多いと思います。

これは仕方ないことだと思います。
なぜ仕方ないことなのか?
では、どうすればいいのか。

「あること」に気づく必要があるのではないか、と私は思います。
「あること」とは、上記のようなビデオのメッセージ、
努力して、困難を克服して、人間的にも成長して、お金を掴もうよ、というメッセージの出処はどこか、ということ。

それを歴史的に理解すること。

そして、もしかすると、現在は、そうした価値観が終焉を迎えているのではないか、ということにまで考え及ぶ必要があるのでは?

つまり、そうした価値観を超える時期にきているのではないか。

もしそうだとすると、もっと新しい価値観はどのようなものか。
その価値観は、もしかすると、上記のようなビデオメッセージにしらけてしまう人々までをも熱くするのではないか。

そんなことまで、考えさせてくれたのが、前回(https://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/07/blog-post_25.html)紹介した以下の本だったのです。
T.J. Demos (2016) Decolonizing Nature: Contemporary Art and the Politics of Ecology.

いずれ、内容を紹介できると思います。

既存の価値観を超えるということは、どういうことかと考えていくことになるでしょう。

Shoso Shimbo

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